はじめに
私は、保育士の養成校をでて、そのあと一年課程の介護福祉士になるための学科に進学し、最終的に介護福祉士国家試験を受験して、介護福祉士の資格をとりました。その中で、全部で30日間の実習を行いました。そのうち24日間は特別養護老人ホームでの実習でした。今回は、その実習の中で皆さんが迷うであろう毎日の目標と考察について、私が実際に提出したものを紹介という形で、みなさんの助けになればということでこの記事を書いています。
実習も19日目ですね。いろいろなことが実習中に起きているのではないかと思います。自分の介護観を揺るがすような出来事も起きているかもしれませんね。どんなことが起きても、ヒトとして感じる心を忘れないで介護をしてほしいと思います。今回は、介護とはなにかを考えるような考察になっているような気がします。何が正解かとか、よくわからないけど、利用者の立場に立ちながら優しく穏やかな心で寄り添いたいものです。
特別養護老人ホームでの実習19日目の目標と考察
実習19日目の目標と考察です。
目標
利用者が安心して過ごすことが出来る関わり方を考える
なかなかに抽象的で答えがでなさそうな目標ですね。まあこういうのもアリなのではないかと思います。利用者との関わりの中で、これはどうなんだろうという気持ちになってしまうような出来事があることとも思いますし、とにかくいろいろなことを考えてみることが大切だと思います。わたしも、利用者との関わりの中で、どのようにすればその方らしく生きられるのかを考える機会がたくさんありました。こんなに短い実習の中でも考えなくてはいけないことがたくさんあるということに気づくことができましたから、これから働いていくということを考えると、悩みは尽きないし、泣きたくなることもたくさんあるんだろうなーと思います。
考察
考察の引用をしていきます。
本日は、利用者が安心して過ごすことができるような関わり方を考えるという目標で実習に臨んだ。
保科史人の特別養護老人ホームでの実習日誌より
最近、A氏が食堂にいるときに、前傾姿勢が激しく、あまり落ち着かない様子を見せていると感じていた。そのため、どのように関われば落ち着いていただけるのかを考えようと思った。A氏に接していると、時折、何かを言いたそうに発語をしているのであるが、はっきりと聞き取れなかった。聞き返しても同じ言葉を伝えようとしてくることはなく、必死そうな表情で前傾姿勢を繰り返すだけであった。6月の実習の際に窓際の席に座り、駐車場にとまっている車をよく見ていたことを思い出し、A氏はちょうど窓の方へ移動しようと車椅子を自走されていたため、A氏と一緒に窓際まで行ってみた。しかし、窓の外にはあまり興味を示すことはなく、窓の下の手すりを使い、力強く移動を続けるだけであった。その後、いつもの机のところまで戻り、それでも車椅子を前後させ、落ち着いた様子はみることができなかった。そこで、A氏の手が冷たいことに気づいたので、しばらく握って温めてみようと思い、手を握ってみた。すると、A氏は眠り始めた。ここで少し落ち着いた様子が見られたような気がする。
A氏と関わり、相手の意図を汲み取ることは、とても難しいと思った。着ているベストを脱いでしまうのも、暑いのかもしれないし、窮屈なのかもしれない。前傾姿勢を繰り返すのも、立ちたいだけなのかもしれないし、ただ単に動きたいだけなのかもしれない。いろいろな可能性があっても、現在の状態だと本人に尋ねても明確な答えが得られる可能性も少ない。それでも声かけや様子を観察しながら、より安心して過ごせるように配慮しなければならない。今回、窓の外を見に行こうとしたのも、正しく意図を汲み取れたとは言えない。ただ、手を握り眠ってしまわれたA氏を見ると、疲れていただけなのかもしれないが、少しは安心した時間が提供できたのではないかと思う。
この考察から、いま、考えること
この考察を読み返してみて、今でもこのA氏の顔が思い浮かびます。私は、6月に10日間、8月から9月にかけて14日間特別養護老人ホームで実習を行いました。この二ヶ月の間に、このA氏は脳梗塞を発症して、状態が悪化してしまったのです。6月の時にはとても元気そうで、とりわけ気にかかるような利用者ではありませんでした。それでも窓の外の車を見ながら過ごされている様子が印象的だったといいいますか……。そして8月に二度目の実習、同じ場所での実習でしたから、脳梗塞を患い、言葉が出にくい上に、体も自由には動かせない状態になっていました。それにも関わらず、動きたいという思いが強いのか、車椅子に座りながらも、立ち上がろうと体を動かしていたのを覚えています。常に職員が隣についていられればいいのですが、そうもいかない人員体制ですから、身体拘束に近い形でベストを車椅子にくくりつけるというか、そんな状態にされていました。車椅子から落ちて転倒しないようにという対応なのだと思います。正直、虐待なのでは? と思ってしまうような対応が時折見受けられるのが実際の施設の中なのではないでしょうか。仕方ないという言葉で片付けることは簡単ですが、利用者の尊厳を考えると、何も言えなくなってしまいます。
とまあ、虐待に関してはやってはいけないことというのを頭の中には忘れずに置いておいて、今回のA氏が安心して過ごすために何ができるかということを考えなくてはいけませんね。ベストに関してはおそらく窮屈だから脱ぎたがっていたのだろうなと思います。拘束に近いことをされているのですから当たり前だと思いますが。まあそれも置いておいて、とにかく移動したり体を動かしたりと落ち着かない様子をみせていたA氏です。動きたいという思いが強いのかなんなのか、とにかくなにか訴えがたくさんあるような感じが私にはしたんですね。だから、一生懸命何かを言おうとしているA氏のことがしりたくて、理解したくて関わってみたのですが、なかなか意思を汲み取るのが難しい。人間の感情や思考なんて、言葉で説明してもしきれない、そんなあたりまえのことですが、脳梗塞の影響で言葉が出づらくなっている状態ではなおさらです。私にできることといえば、親身になって話を聞こうとする様子を見てもらうとか、スキンシップを図ってみるとか、その程度のことです。高齢者に対してスキンシップを行うのはいいのか悪いのか、いろいろな意見があるとは思います。しかし、保育士としての知識のある私にとっては、乳幼児期のスキンシップの重要性を知っています。それはどんな年齢になっても同じなのではないかと思うのです。個人的なことですが、人と触れ合うのは30歳になった今でも大好きなことですし、心地よいことだと思うのです。人の手のひらの暖かさ、リズムよく優しくトントンとされながら眠った幼少期、ハグをしたときの重量感、人とのふれあいの中で思い出すことはたくさんありますね。そういった経験のない人もいるかもしれませんが……。それでも多くの人にとってスキンシップは心地よいものなのではないかと思います。それは関わる利用者の様子をみながら、スキンシップを心地よいと感じることができる利用者なのかを見極めればいいことですしね(*´∀`*)
このような考えのもと、私がしたのは、A氏の手が冷たいことに気づいたため、やさしく手を握ることでした。A氏にとって心地よいことだったのか、今となってはわかりません。それでも穏やかなきもちになって欲しいという私の思いがいっぱいつまったスキンシップでした。こちらの独りよがりなのかもしれません。落ち着きたいなんてA氏は思ってなかったかもしれませんし……。難しいですね。実際に起きた現象としては、A氏の眠りを促したということ。手を握ったのが直接的な効果だったのかも怪しいですが、A氏は穏やかな表情でこっくりこっくりと眠っていたような気がします。どんなことを感じていたのか、想像することしかできないですが、穏やかな気持ちにすこしでもなっていてくれたらと今も思います。
まとめ
利用者本位とはいいますが、私の今回の対応はどちらかといえば、介護者本位の考え方なのではないかとも思います。きっとA氏は、もっと自由に動きたいし、喋りたいし、テレビも見たいし、好きなものを好きなように食べたいとか、いろいろなことを思っていたのではないかと推察されます。介護者として、A氏に落ち着いて過ごして欲しい……これは本来正しい考え方ではないと私は思います。それでも、穏やかな気持ち、時間を共有したいという私の気持ちも正直なものです。介護者もヒトですから、感情もあれば、痛みもあります。それらを全て殺して関わっても、ヒトらしいとは言えないかもしれません。人と人の関わり、それが介護であり福祉ですから、介護者の心も大切にしなければなりません。もちろんその上で利用者の心も大切にします。本末転倒というか、そんな感じになってしまいますが、結果として利用者の思いに沿った関わり方になることも、もしかしたらあるかもしれません。
利用者本位ということは大前提として忘れてはいけません。利用者のためといいながら、実は自分のためだったというような介護はあまりしたくありませんね。初心忘るべからず、みなさんもお気をつけて利用者に関わりください。わたしも気をつけます(´・ω・`)
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