【てんかんと診断されて】【30代】めまいで倒れ記憶がなくなる【貧血?】【痙攣】

てんかん

気になる症状は昔からあった

 おはようございます。こんにちは。こんばんは。保科史人でございます。普段は保育関係の話が多いのですが、今回は、自身が体験した、まあまあ保育にも関係があるかもしれないことについて話をしていこうかと思い、この記事を書いています。

 タイトルにもある通り、齢32歳にて、てんかん持ちということが発覚いたしました(笑) まあ笑いごとではないのですが、自身の経験が誰かの役に立てばよいかと思い、気になる症状から、どのようにてんかんが発覚したのか、などについて紹介できればと思います。

 まず、気になる症状が現れたのがいつ頃なのかなど、時系列に沿ってお話していこうかと思います。まあただ、すべてがてんかんに関連しているのかは今となってはよくわからないことだらけなので、なんとも言えないこともあるのですがね。私の記憶の整理という意味もありますので興味のある方はご覧ください!!

~あれは中学生の冬のこと~

 中学生のころだったと思うのですが、冬の寒い時期にインフルエンザに罹患しました。高熱がでて、病院に行き、陽性でしたので、薬を飲みました。そう、薬、インフルエンザ、思い浮かぶ人もいるかもしれません「タミフル」という名前……。当時タミフルを飲んだ若者が異常行動をすることがあるということが言われ始めていました。そんな中、中学生の私はタミフルを飲みました。すると何がおきたでしょうか。なんとしっかり異常行動が起きてしまったのです!!

 夜中、熱にうなされている中、母が私の部屋の様子を見に来たそうです。すると、むくむくと起き上がり、大きな口を開け、手をゾンビのように前に出し、「あああああああああああああああ」と奇声を発しながら追いかけてきたそうです……。幸い、母と父の寝室にまで歩いていき、そこで崩れ落ちるようにしばらく座り込んだそうです。

 私の記憶としては、起き上がったところ、母の顔が見えたのは覚えているのです。しかし、体のコントロールが効かず、母が恐怖におびえたような表情で遠ざかっていくのです。私自身奇声を発しているつもりはありませんでした。そして記憶がそこから途切れます。

 意識が戻りかけているころ、「ハエが飛んでいる」などよくわからないことをつぶやいていました。ハエなんて飛んでいません(笑)

 その後、意識がしっかりと戻ってきたころ、緊急で病院まで行くことになりました。もちろん高熱は続いています。とりあえず病院まで行き、点滴を受け帰りました。その時の医者は、インフルエンザ脳症なのなんだのと、可能性のあることを言っていたと思いますが、もしかしたら、これがてんかんのはじまりだったのかもしれないと今は思います。ただ、当時のことを覚えていることが少ないので、痙攣発作なども同時に起きていたのかなどはわかりません。本当にタミフルによる異常行動だったのかもしれないですしね。

 とまあ、私が意識をなくした症状が現れたのはこれが最初だったと思います。てんかんかそうでないかはわかりませんが、意識消失の経験の最初ということで、この話をしました。それからはしばらく発作のようなものはありませんでした。

~あれは26歳の夏のこと~

 たしか26歳だったと思います。ちょうど、保育の学校を卒業して、そのまま介護福祉士になるための専攻科に進学した年です。夏に実習がありまして、そのための事前学習?みたいな感じで施設に行かなくてはならなかったときの電車で起きました。正確には都営三田線の巣鴨駅からJR山手線の巣鴨駅に乗り換えるために時間が無く、すごく走りました。階段を駆け上りました。乗り換えには成功したのですが、息が上がり呼吸が短くどんどんと気分が悪くなっていきます。西日暮里駅で乗り換える予定でしたので、電車に乗っている時間はほんのわずかだったのですが、もう立っていられないのではないかというくらい気分が悪くなっていきます。幸い実習先の施設に配属されていたのは私だけではなく、もう一人、同級生がいました。西日暮里の駅に着いたとき、私は倒れこむように駅のホームにかけ出て膝から崩れ落ちました。まだ息は上がったままです。その時の様子を同級生がその場で教えてくれたのですが、唇が紫で、顔色は真っ白とのことでした。チアノーゼですね。酸素が足りてない感じだったのでしょう。

 その時のことを思い出すと、その同級生にどういう説明をしていたかというと、「時々、めまいとか起きて、チアノーゼ気味になる」みたいなことを伝えていました。つまりですよ、今まで発作という発作はあまりなかったといいつつも、めまいで意識が遠くなるみたいな経験はすでに何度か経験していたということになります。正直、めまい発生のカウントをしてなかったので、この時何回目かはわかりません。私の記憶の中では、これがめまいというか、今考えると、てんかん発作のひとつかもしれないというような経験の一つなのです。しかし明らかに、これ以前にも自覚している症状はあったのだと思います。このときも多分貧血、(もしくはメニエール病かな?)だろうと思っていました。この「貧血」という思い込み、よくないですね。早く病院に行けって話なのですがねw その時は少しじっとしていたら回復したので、問題なく実習先に行くことができました。

~あれは30歳までのこと~

 30歳までのことという、まあ、そうです、この後は半年から1年に一回ほど、記憶が飛んでしまうような発作があらわれていました。

 例えば、居酒屋のお鍋に火がついているのを眺めていると、少しずつ意識が遠のいていき、その場で倒れこんでしまう。電車に乗ろうと思って駅のホームに行くエレベーターに乗ったらその場で倒れてしまう。電車に乗って席に座ったもののすぐに倒れ、電車を止めることになってしまう。就活で職場の見学に行く途中に電車の中で目の前がぎらぎらとした光のようなものが見え、耳が遠くなり、意識が飛びそうになる。などなど、覚えている限りでもたくさんあります。ただ、この時もてんかんによるものだったのかはよくわかっていませんでした。なぜかというと、これらすべてではなかったかもしれませんが、共通していることがあります。それはストレスによるタール便が出ていたということです。タール便とは、真っ黒な便のことです。ストレスがかかることにより、胃、もしくは十二指腸あたりから出血していたのだと思われます。「出血=貧血」私の中では、やはりこの構図が出てきてしまい、貧血だろうなーと思って見過ごしてしまうといった状況でした。

 実際、この時倒れて意識がなくなったものもありますが、どういった状況だったかは正直わかりません。「意識がない=記憶がない」なのです。

~あれは32歳のことー痙攣を伴う発作ー~

 そして直近の話ですね。まずは、2023年の時の話をしたいと思います。恋人の家にいるときに、一緒にテレビを見ていました。すると、どんどん耳が遠くなっていきます。そして目の前がチカチカし始めます。「……ごめん、ちょっと意識飛ぶかも……」そう恋人に伝え、仰向けに寝ました。意識飛ぶかもと伝えたところまでは記憶があります。そして寝てしまいました。寝てしまったのだと思っていました。しかし、あとから話を聞いてみると、目を見開いたまま手をまっすぐ下に伸ばして硬直するような状態だったそうです。ちょっとびっくりしたと話してくれました。

 話を聞くと少し恐ろしいですね。今まで電車の中で発作が起きた時も同じような感じだったのでしょうか……。周りの人に恐怖を与えていたかもしれませんね(‘◇’)ゞ

 恋人の彼は、学生時代にてんかん発作を持つ友達がいたそうで、実際に発作も見たことがあるとのことで、「てんかんっぽくない?」みたいな話をしてくれました。

 そして、1年後、2024年の4月末頃、今度は自宅にいるときに発作が起きました。株取引の画面をパソコンで見ているとき、この株買おうかなー、どうしようかなーなんて考えているときに、ふと目の前がチカチカしてきました。うわー、これまたくるなー、なんて思っているうちに、意識を失いました。ちょうどおひるごはんを食べた後でした。意識が戻ったとき、私が座っているところの後ろにあった100円均一で買った組み立てる棚が壊れていました。そして、おひるごはんがのっていたお皿はひっくり返り、クッションがそのお皿のせいで汚れていました。「あれまー」と実際に口にしていたような気がします。意識を失いながら、体が動いていたのでしょうね。痙攣だったのかはわかりませんが、とりあえず、ただ意識を失っていたというわけではなく、何かしら体が動いてしまっていた痕跡がありました。

~あれは32歳の夏前のことー救急車を呼ばれてしまうー~

 救急車を呼ばれてしまうっていうと、なんか呼ばれることが悪いことのような感じがしてしまいますかね(´・ω・`)でも、救急車にはできるだけ乗りたくない人生でしたからね。6月の中旬ごろ、彼の家で過ごしていました。寝起きです。一度目覚めてスマホでゲームをしていたのですが、また眠くなり、二度寝をしていました。そして、彼はキッチンの換気扇のところでタバコを吸っていました。彼の話によると、寝ていたはずの私からうめき声が発せられていることに気づいて駆けつけてくれたそうです。そして、痙攣を伴う発作がでていたそうです。もちろん目は上を向いて見開いていたとのことでした。手がぶるぶると震えていて、とても恐ろしかったそうです(笑)

 痙攣がおさまり、しばらく意識がもうろうとしていました。彼が「頭痛い?」と尋ね、私は痛いと言っていたそうです。しかし、私には今でも、その時の記憶がありません。そして、痙攣をおこしたときに、背中を痛めていたようで、うまく座ることもできなかったようで、すこし暴れるような動きをしていたそうです。

 完全に意識が戻ってきても、背中が痛くて動けません。その時になんとなくスマホで自撮りをしてみました。目の周りが薄黒く、酸素が足りてなさそうな顔色でした。

 「もう救急車呼ぶね」と彼に言われ、私にはそれを拒否する元気はありませんでした。背中の痛みで動けないのでどうしようもありません。

 そのまま病院に運ばれました。救急隊員から選定医療費で2万円くらいかかるけど平気か?などきかれましたが、もうどうとでもなれという気持ちでしかありません(笑) 結局その病院では受け入れ不可となり2件目の病院に運ばれることになりました。そっちでは選定医療費は2万円もかかりませんでした。選定医療費……高いですよね。医療福祉の勉強はしていましたから、仕組みは何となく理解していましたが、どうしたもんかって感じですよね。みなさんも知っておくといいかもしれません。今度選定医療費についての記事も書いてみようかなと思います。

 あれやあれやといううちに、MRIやらなにやら、当日は正確な診断が出ませんでしたが、数日後に脳波の検査やらも済ませ、症状を伝え、何度も発作のようなものの経験があるなどなど、問診の結果、てんかんの診断が下されました。

まとめ

 というわけで、32歳にして、てんかんと診断されるというお話でした。1痙攣を伴う、2何度も発作が起きる、3目を見開いている、などの症状があるとてんかんの可能性があるそうです。似たような病気の発作の可能性もあるので、なんとも言えないのではありますが……。なによりも、発作時の状態を誰かが見ていることが大事なようです。発作の始まり、途中経過、終わりころなど、一番いいのは、映像に残すことのようですが、なかなか発作時に映像をとるのは難しいですよね。私も発作時の映像を撮ることには成功していません。一応彼には頼んであります(笑)

 てんかん発作、私、保科史人の場合ということで今回お話ししました。意識がなくなることがあるなど、気になる症状をお持ちの方は、てんかんを疑ってみるひとつのきっかけになればと思って記事を書きました。今後、選定医療費や、自立支援医療についての記事も書いてみる予定ですので、興味のある方はご覧いただけると嬉しいです。それでは失礼いたします!!

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